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体験者様のお声

5.自分を取り戻す
【東京都世田谷区 65歳男性 中竹様】

「易」は「かわる」という意味であり、万物は限りない創造の変化である。創造はひとつの変化であるから「化」とも言う。
易、化による自己、人生、社会、宇宙の創造変化は、どうにもならない絶対的な運動でありこれを「命(めい)」という。生命はひとつの命であり、大いなる宇宙の作用である。これが「天命」である。

人間には意識、精神という心があるから、生命に立心偏をつけると「性命」という言葉になる。
宝くじが当たった、車がぶつかってきた、これを運がいいとか悪いとか俗では使うが、それは「宿命」であって運ではない。
宿は泊まる、停止するの意味であり、いちど停滞することである。

「運」は「運ぶ」と読む。
「運命」とは命を運ぶこと。すなわち自分で運ぶものである。運命は、人間に与えられた知性、理性、経験によってこれを研究し操作することができる。人が創造に参加することを「造化(ぞうか)」という。

造化された運命がまた生命に跳ね返り、そこに思索、反省となり、また易(化)が起こる。 目に見えない「運命」と、形となって現れている「生命」の交歓。ここに「陰陽の原理」を見るのである。

このような陽明学的な話を、この講座で女性の先生から聞けるとは、思いもよりませんでした。

私は東洋思想が好きで、定年退職後、研究というほどではないが、そういう本ばかり読んでいます。
儒教であれ老荘であれ、神道であれ、必ずこの「易」の解釈が必要です。ところが常日頃、この重要な「易」の学問がマスコミをふくむ世間で俗にされ、曲解され、非科学的で、とても軽く扱われている事に腹立たしく思っておりました。

「易学」などという時代遅れな好事家である私は、死した化石であろう、しかし昨今の浅薄な能力主義と言いますか、それを評価する風潮にどうしてもなじめない。 

しかし感激いたしました。
この講座には若い方も多く参加されていて、熱心に勉強されているのを見てとても嬉しくなり、まだまだ日本人は捨てたものではない。なにか、自分の価値観や生命を取り戻したような気がしています。

人間の力というものは実に非力なものでありまして、人生には我々人間の思想や才覚の及ばない大きな生命の流れ、大きな力の動きというものがあります。ながらく続く唯物論に収束されない、この講座のような取り組みが今の時代に静かでも確実になされていることは、まことに素晴らしいことです。

ますますのご発展をお祈り申し上げます。 


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